2024年4月1日 校名を変更しました(旧校名:呉竹鍼灸柔整専門学校)

学校概要

大正時代から続く創設者の建学の理念を未来へと継承

1926(大正15)年の設立以来、手作りから始まった教育は長い時を経て今も脈々と受け継がれています。
「社会の信頼と尊敬を得る医療人の育成」を目標に現在までに輩出した卒業生は25,000名にも及び、その活躍は国内外で高い評価を得ています。
日本の伝統医療教育のパイオニアとして90年以上の歴史を有する呉竹学園。
その伝統と叡智を未来へと継承し、人々の保健衛生福祉と伝統医学の発展に寄与する人材を育成し、社会貢献を果たしていきます。

 

学校名 横浜呉竹医療専門学校
※2024年4月1日校名変更(旧校名:呉竹鍼灸柔整専門学校)
校種 厚生労働大臣指定養成施設(あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師・柔道整復師)
学校法人立専修学校(神奈川県知事認可)
設置者 学校法人呉竹学園
所在地 〒222-0033
神奈川県横浜市港北区新横浜2-7-24
電話: 045-471-3731
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設置課程 医療専門課程(職業実践専門課程認定)
設置学科 鍼灸マッサージ科(午前コース・午後コース)
鍼灸科(特修コース)
柔道整復科(午前コース・特修コース)
校長名 坂本 歩
加盟団体
神奈川県専修学校各種学校協会・公益社団法人東洋療法学校協会・公益社団法人全国柔道整復学校協会

姉妹校

東京呉竹医療専門学校
〒160-0008 東京都新宿区四谷三栄町16-12
Tel.03-3341-4043
設置学科
鍼灸マッサージ科 Ⅰ部・鍼灸科 Ⅰ部・鍼灸科 夜間特修コース・柔道整復科 Ⅰ部・鍼灸マッサージ教員養成科
大宮呉竹医療専門学校

〒330-0854 埼玉県さいたま市大宮区桜木町1-185-1
Tel.048-658-0001
設置学科
鍼灸マッサージ科 Ⅰ部・鍼灸科 Ⅱ部・柔道整復科 Ⅰ部・柔道整復科 Ⅱ部

学園沿革

1926

大正15年「東洋温灸医学院」を設立

大正の元号が昭和に変わるこの年、本校の前身である「東洋温灸医学院」は現在の東京都新宿区四谷三丁目にある善禅寺の境内の貸家、ここからのスタートであった。
この時、創立者坂本貢28歳、役所に勤めながらの夜間のみの授業であったが独自の研究を進めた温灸が評判を高め、生徒も増え夜間のみでは対応しきれなくなり、役所を辞し、昼間も開講することになる。

1929

昭和4年「東京高等鍼灸医学校」を設立

私立学校としての認可を受けるまでには3年の月日を要した。

1931

昭和6年 私立学校としての認可を受ける

「東京温灸医学院」を開設してから6年目にして私立学校としての認可を受け、自他共に認める全国初の東洋医学の体系的教育機関として実を結んだ。

1932

昭和7年

学校認可と同時に坂本貢校長も正式に校長の認可を得て、昭和7年には旧文部大臣より解剖、生理、診断、細菌、消毒、孔穴、経穴、鍼灸、マッサージ、温灸、電気治療各学科の教員免許の公布を受ける。
また、私立学校協会常任理事に就任。三輪田元道(三輪田学園)・村田謙三(村田簿記)・杉野繁一(杉野学園)の各氏等と共に各種学校の振興に貢献する。

1933

昭和8年 校舎を新設。大番町に移転

旧文部省から委嘱され、坂本校長自ら鍼灸、マッサージの講習を全国の女学校等で巡回指導する。

1936

昭和11年

警視庁による鍼灸試験合格率も飛躍的に向上。
長年の努力により、本校に対する評価も高まり、特に坂本貢校長が編纂した「鍼灸医学精義」をはじめ数々の学校用教科書は、本校のみならず世間一般の鍼灸試験受験生にとっても不可欠の参考書となった。

1939

昭和14年 無試験開業指定校へ昇格

昭和14年4月、鍼灸科で無試験開業の指定校となり、15年3月には青年学校令により青年学校に認定、16年4月にはマッサージ科でも無試験開業の指定校と認定され、晴眼者、健常者を養成する初の全国無試験開業指定校として名実共に備わった私立学校となった。

1939

昭和14年 無試験開業指定校へ昇格

昭和14年4月、鍼灸科で無試験開業の指定校となり、15年3月には青年学校令により青年学校に認定、16年4月にはマッサージ科でも無試験開業の指定校と認定され、晴眼者、健常者を養成する初の全国無試験開業指定校として名実共に備わった私立学校となった。

1941

昭和16年

学校の内容が整備されると入学者も増加し、大番町の校舎では収容不可能になり、信濃町に新校舎を建設した。
この時、学生数は1,500名を越え、本校としては第一次の黄金時代を迎えることとなった。
奇しくも第二次世界大戦の幕開けと同じくしての落成式であった。

1942

昭和17年 入学希望者が更に増加する

別科の教科は6ヶ月で、働きながら学び、資格を身につけることが魅力であったようである。
無試験開業できる本科(4年制)は陸軍・旧文部省により青年学校の課程と同等以上という兵役上の特典が与えられ、入学資格等も変更された。

1943

昭和18年 日本鍼医事新聞を創刊する

坂本貢校長は学校経営のかたわら警視庁委嘱を受け、日本鍼灸師協会を結成するとともに、一方では業界、学会の情報機関として日本鍼医事新聞なども創刊する。

1945

昭和20年 終戦、そして休校

昭和20年5月の東京大空襲により幼稚園校舎とともに一切のものを焼失、休校の措置をとる。
終戦はその年の8月15日であった。
翌年には信濃町仮校舎を建設。 いち早く、学校再建にとりかかる。
戦災を受けた学校としては東京では最も早く仮校舎も完成し授業が再開された。

1947

昭和22年 本科生、無事卒業する

学校再開に伴って学生も徐々に復学し、戦争中の本科生も無事に卒業させることができた。
しかし、時節柄新規の入学者の数は数えるばかりであった。

1948

昭和23年「財団法人東京高等鍼灸医学校」として認可が下りる。柔道整復部門を創設

校舎の一部を専修学校や病院に貸すなどして、学校運営を維持する努力も払われたが、深刻な学校運営の時期が続くことになる。
その中、坂本貢校長は財団法人設立について旧文部省に申請を行い「財団法人東京高等鍼灸医学校」として正式に認可が下りる。
そしてこの年、将来性、学術的基礎理論、教育体系等周到な検討を重ね、柔道整復部門を創設。
4年制のモデルケースとして開設し、学生10名程のスタートであった。

1949

昭和24年

この年2月、あん摩師、はり師、きゅう師養成施設として「東京高等鍼灸学校」が厚生省より認可される。

1953

昭和28年 三栄町に校舎を建設

学校の基盤は徐々に整いつつあったが、入学者は増える兆しもなく、苦難の学校運営が続くが仮校舎のままでは授業が思うにまかせず現在の新宿区三栄町に校舎を建設する。

1954

昭和29年「東京高等鍼灸学校熱海分校」として熱海校(現在の本校(横浜校))を設立

徐々に明るい兆しが見え始め、入学志望者数も増え始める。
保養地として栄えていた熱海市も復興し始め、旅行者も増加し、それに伴いマッサージ師が極端に不足していたため無免許業者の営業が大きな問題になり、本学へ養成校設置の要望があり、マッサージ師養成専門学校熱海校の設立となった。
この年、柔道整復科が柔道整復師養成施設として認定された。

1955

昭和30年

熱海校の校名を「呉竹マッサージ学校」に変更する。

1956

昭和31年 財団法人「呉竹学園」が学校法人として認可される

本校は昭和23年12月に財団法人としての認可をうけていたが、この年の4月に「学校法人呉竹学園」設立の申請書を東京都知事宛てに提出し、10月に認可された。
これも本学の経営基盤が徐々に安定してきた事が背景として挙げられる。
全科合わせて募集定員数は420人であった。
同年、熱海校第1回卒業式を行う。

1960

昭和35年 東京校入学者の増加に伴い、校舎を取壊し増改築を行う

鍼灸部門は20年代後半に学生数が激減したが、30年代に入り志願者が一転して増加、収容スペースが不足となり、既設の校舎を取壊し、その後に3階建3号館(旧)として建設する。

1968

昭和43年 熱海校創立15周年記念式を行う

この年、熱海駅前へ校舎を移転する。

1969

昭和44年 現在の三栄町に校舎2号館(旧)を落成する

1970

昭和45年 専科(鍼灸科)の設置認可を受ける

志願者及び鍼灸業界より多年にわたり専門課程の新設を望む要望があり、それに応えるとともに斯学の進展と私学の振興、国民の保健衛生に寄与する。
その目的をもって新築した施設に修行年限2年半の鍼灸専門科を設置した。
この年、各科の部科修行年限及び生徒定員も変更され、660人となっている。
創立者坂本貢勲五等瑞宝章を受ける。

1972

昭和47年 熱海校本科(鍼灸マッサージ科)新設

1973

昭和48年 創立者・坂本貢永眠。熱海校の校名を「呉竹鍼灸専門学校」と変更

昭和48年9月23日、本校の創立者 坂本 貢 校長が逝去。(享年75歳)
戦前、戦後を通じ激動の時代を学校と共に奮闘し続けた生涯であった。
また、坂本校長は本校の経営のみならず教科書の執筆、治療器具類の発明等、学会、業界に偉大な業績を残した。
この年、東洋医学臨床研究所(現、四谷校舎附属施術所)が開設している。

1976

昭和51年「東京鍼灸柔整専門学校」と校名を変更

学校教育の一部改定に伴い、9月10日付をもって熱海校と共に専修専門学校として認可される。
また、東京校は「東京鍼灸柔整専門学校」と校名を変更した。

1983

昭和58年 鍼灸教員養成課程を代々木校舎に新設

教員養成課程の設立はかねてよりの念願でもあったが、東洋医学に対する関心の高まりや、鍼灸師としての専門技術の習得、基礎医学の強化、特に臨床医学の進歩に即応できる人材育成が急務であった。
教員養成課程の新設は、この年の鍼灸教育資格に関する旧厚生省令改正と機を共にしている。

1984

昭和59年 熱海校30周年記念式典を行う

1985

昭和60年 鍼灸教員養成課程を代々木校舎に新設

昭和と共に歩んできた本学の創立60周年記念式典が学会、教育界、官界、卒業生を集め盛大に行われた。
中国との学術交流をスタート。
昭和60年(1985)坂本浩二理事長が道を拓いた上海中医薬大学へ夏期に学生を派遣、中国伝統医学を習得、学習すると共に国際交流の成果をあげている。

1986

昭和61年 東京校の校名を「東京医療専門学校」に変更

1987

昭和62年 東京校四谷校舎本館を増設

1991

平成3年 東京校四谷校舎 、実習棟新築

1995

平成7年 創立70周年を迎える

この年、創立70周年を迎え記念事業として70周年記念棟(現2号館)及び学生会館(現5号館)が完成した。

2000

平成12年 東京校四谷校舎、4号館新築

2002

平成14年 熱海校の移転と校名変更

熱海校を新横浜へ移転し、校名を「呉竹鍼灸柔整専門学校」に変更する。

2006

平成18年 はり・きゅう治療院「南新宿ブランチ」開設

2009

平成21年「呉竹医療専門学校」(大宮校)開校。「呉竹メディカルクリニック」開業。

2013

平成25年 呉竹学園教育センター設置

教育の質の維持向上および教職員の能力向上のため「呉竹学園 教育センター」を設置する。

2014

平成26年「職業実践専門課程」の認定を受ける

東京校・横浜校・大宮校が設置する全16学科が文部科学大臣より「職業実践専門課程」の認定を受ける。

2018

平成30年 東京校四谷校舎5号館新築

2020

令和2年 東京校四谷校舎1号館新築

2024

令和6年 呉竹学園が設置する3校の校名を変更

東京医療専門学校を「東京呉竹医療専門学校」に、呉竹鍼灸柔整専門学校(横浜校)を「横浜呉竹医療専門学校」に、呉竹医療専門学校(大宮校)を「大宮呉竹医療専門学校」に校名を変更。

2026

令和8年 呉竹学園創立100周年を迎える


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